Message

代表メッセージ

職人たちの技術と経験が繋いだ60年。
これからも信頼を地中深くに刻み続けます。

平素より当社に格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。皆さま方のお力添えのおかげをもちまして、当社は創立より60年を迎えることができました。

私自身、平成元年に入社し、30年以上この会社とともに歩んでまいりました。入社当時はまだおおらかな時代であり、厳しくも個性的な従業員が多かったと記憶しています。当社の主要業務であるさく井業界は、経験に左右される世界です。当時は現在ほどボーリング技術が発展しておらず、大きな機械とワイヤーを使って音と感覚を頼りに掘り進めるという、まさに職人による技術で結果が大きく異なる工法が主流でした。機械を扱う技術を先輩方に教えてもらい、経験を積むことで感覚を身につけていった日々が、つい先日だったかのように思い出されます。

私が代表となってからは、下請けの仕事から元請けへの移行を進めてまいりました。あわせて、新たにさく井以外の業務に挑戦、事業の幅を広げることで会社の基盤を強固にし、現在の会社の形を作ってまいりました。

これまでの道のりを振り返ると苦労も多かったのですが、さまざまな経験の積み重ねが当社の成長の礎となったと確信しております。これからも時代の変化に対応しながら新たな挑戦を続け、よりいっそう会社を発展させていきたい所存です。今後とも当社へのよりいっそうのご愛顧を、心よりお願い申し上げます。

History

西日本鑿泉の歴史

1965~1975

昭和40年~昭和50年

大阪でさく井事業を創業、創業者の故郷である四国中央市へ

当時はまだ地下水の規制がなく、井戸の需要が高かったことに創業者である先代社長が目をつけ、大阪でさく井の会社を立ち上げたのが当社の始まりです。とはいえ、さく井の業務に就いた経験はなかったため、井戸を掘る技術を持ち合わせていません。そこで、井戸掘りの技術を学ぶために職人を雇い、技術を習得して事業を拡大していきました。昭和42年頃に大阪から社長の故郷である四国中央市へ拠点を移し、本格的に事業を展開します。

1976~1985

昭和51年~昭和60年

オイルショックによるさく井事業の減少と事業転換

創業当初よりさく井を中心とした事業を行っていましたが、昭和50年代のオイルショックにより需要が冷え込み、仕事が激減しました。そこで、当時出はじめた杭工事やアンカー工事といった新たな分野へ事業を拡大していきます。特筆すべきは、高知県のダム建設プロジェクトにおいて、最新鋭のアンカー工事機械を導入したことです。これにより、杭工事およびアンカー工事が当社の主力事業として確立されていきます。

1986~2023

昭和61年~令和5年

さらなる事業の多角化と元請けへの挑戦

当社が取り扱いはじめた当時は新しい技術であった杭工事やアンカー工事も、時が経つにつれ一般に普及し、競争が激化してきました。そこで、新たな活路を見出すため、集水井や集水ボーリングなど、多角的に事業展開を進めていきます。平成20年頃に元請けの仕事にも挑戦しはじめたのをきっかけとして、ボーリングだけでなく法面保護や地すべり対策工事など、幅広い工事に対応できる体制を構築しました。

2024〜

令和6年〜

ブラスト事業をはじめとする新しい事業展開を目指す

元請けとしての工事を増やすことで、近年ではより安定した経営基盤の構築に成功しました。さく井や法面工事を充実させるのはもちろんのこと、最近ではブラスト事業を新たに開始するなど、さらなる発展を目指しています。これからも社会の変化にいち早く対応しながら、新たな事業にも積極的に挑戦していきたいと考えております。